見学会Bコース (石油地質見学コース)

6月4日の見学会当日は、あいにくの雨混じりのお天気となったが、45名の定員(案内者2名を含む)いっぱいという盛況ぶりで、北海道での見学会への期待の大きさがうかがえる。参加者は、北海道大学の正門前に集合して「時計台」バスに乗り、午前8時過ぎに第一見学地に向けて出発した。バスの中では、まず探鉱技術委員会からの世話人として石油資源開発株式会社長岡鉱業所の加藤進氏から、案内者の紹介が行われた。案内者は、同社札幌鉱業所の加藤邦弘氏と張田芳博氏である。
バスは予定通り10時過ぎに、第一見学地点である夕張市の石炭の歴史村に到着、我々はすぐその中の石炭博物館に直行した。博物館の案内者の話では、館内をゆっくり回ると2〜3時間かかるということであったが、我々の持ち時間は1時間しかなかったため、案内者にすべてをまかせて急いで一巡することになった。最初本館にある各種展示物(石炭、アンモナイトやイノセラムスなどの化石、巨大なコンプレッサー、坑内で使われた器機や工具類、夕張探鉱の変遷を示す写真などなど)を見ながら案内者の説明を聞いた。その後、エレベーターにのって急降下(!?)し、地下の模擬坑内での作業現場(?)を見学した。ここでは、石炭を掘削する人、運搬する人、落盤を防ぐために柱を組む人、事故の場合の救急隊などが忙しく働いており、坑内での作業内容も理解できるようになっている。坑内は男だけの世界かと思っていたら、ある時期、女性も働いていたことが理解された。このあと、参加者は全員ヘッドライトのついたヘルメットをかぶり、かっての実際の坑道の入り口付近に設けられた坑道に入り、当時の掘削現場をまねて配置された掘削機器やトロッコの横を通りながら、坑内先端部の切り羽現 場で作業する「鉱夫」の間から実際の石炭に直接触れたりした。この坑道から今後は歩いて地表に出てくると、目前に北海道指定文化財となっている「石炭の大露頭」が現れた。ここでは、下から、10尺層、8尺層、6尺層と呼ばれる3つの石炭層が観察される。さっき登ってきた坑道は、実はこの石炭層に沿って掘り進められたものであった。
時計をみると丁度1時間が過ぎていたので、参加者は急いでバスにもどり、次の第2見学地へと向かった。石炭の歴史村は、全体が大きな公園(一大アミューズメント・パーク)となっていて、石炭博物館の他にも、いろんな施設やコーナーがあり、家族が一日中楽しめるようになっている。夕張市の現在の人口は約1万6千人であるが、最盛期(昭和35年)には11万7千人が暮らしていたということである。現在は、夕張メロンの産地としても名高い。この夕張メロンは在来の露地メロンに温室メロンを交配改良してつくられたもので、かぼちゃとかけあわせてつくったというのは間違いとのこと。なお、夕張の地名は、アイヌ語のユーパロ(鉱泉のわき出るところ)に由来するという(配布資料より)。
次に参加者は、バスで約数km西方に移動して、ポンポロカベツ川横の林道沿いの大露頭を観察した。ここでは、白亜紀中部蝦夷層群の三笠層を見学した。ポンポロカベツ川は、夕張炭田の西縁部に発達した大規模な背斜構造である「鳩ノ巣ドーム」の軸部を横断するセクションで、蝦夷層群の露出地域のなかでは最も西部に位置する。三笠層は、蝦夷堆積盆の西縁相を示すことが考えられ、浅海域ないし沿岸域の砂岩・礫岩・シルト岩から構成されている。
観察地点の三笠層は、ややシルト質ながら淘汰のよい微細粒砂岩が主体で、薄い泥岩や礫岩の挟みもみられる。生物擾乱によるものか、厚層理の砂岩断面で堆積構造を観察することは困難であったが、周りに落ちている転石をたたくと、ときおりイノセラムスなどの化石が見い出された。また素人には何の化石かわからない謎の化石片も見い出された。礫岩は、小礫から中礫大の円礫で、極細粒砂岩の中にうすく層状に産出することから、やや特異な感じをうけるが、ストーム堆積物の一種であろうと思われる。
12時前に本見学地点を出発した参加者は、約10kmほど志幌加別川沿いをバスで南下し、次の見学地である基礎試錐「夕張」の掘削地点に昼過ぎに到着した。本試錐は、昨年12月18日に掘削を開始し、今年9月に掘削終了予定で、予定深度は5,000mである。見学当日は、深度3,900mあまりまで到達しているということであった。平成3年度に行われた基礎物探「日高地域」の調査の結果、浅部のスラストに伴う襟曲構造の下位に、これとは不調和でより緩やかでかつ大規模な背斜構造(「夕張構造」)が存在することが確認され、本試錐はこの背斜構造をめがけて掘削しているものである。これらの構造を構成しているのは、古第三系石狩層群から白亜系の蝦夷層群とみなされ、これらの地層の炭化水素ポテンシャルを把握することが基本的な目的である。これまでの掘削で、予想どおり、古第三系と白亜系の2階建て構造が確認されているが、つい最近再び石炭が出てきたことから、もしかすると3階建て構造の可能性もあるということであった。これまでにいくつかの油徴、ガス徴も得られているということである。用いられている掘削機(リグ)は、7,500mまでの掘削が可能な最新式の1625-DE2号機というこ とである。見学者は、リグを遠巻きに見ながら説明を聞いたあと、今回採取した三笠層群相当と思われるコアを見学した。掘削地点は、かっての北炭真谷地探鉱株式会社の電力発電所のあったところでの敷地で、石炭の灰などの置き場になっていたところで、掘削前には足場の強度が心配されたが、これまでのところ特に問題はないということである。すぐ横には、発電所の建物の一部はまだ残っていたが、まもなく撤去されるということであった。見学後、本地点を出たところの道沿いに夕張メロンの直売所があったのでしばし立ち寄り、おみやげ用のメロンの物色と値段の交渉を行われた。
このあと参加者は、夕張川沿いを南下して、10kmあまり離れた夕張滝の上自然公園で遅い昼食をとった。昼食後、千鳥橋を渡りながら千鳥ヶ滝周辺の夕張川沿いに露出する中部中新統の川端層の見学を行った。川端層は、タービダイト砂岩と泥岩の互層を主体とする地層で、夕張川周辺では、最大層厚が3,700mにも達するということである。この付近では、地層の走向と川の流れの方向がほぼ平行しており、川のあちこちで律動的な砂岩泥岩互層が観察された。川端層は、道央地域に広く発達する中期中新統の租粒層の一員であり、北米プレート(オホーツクブロック)とユーラシアプレートが衝突した際の東西圧縮場に形成された隆起帯が浸食され、その周りのトラフに堆積してできたものであると解釈されている。この千鳥ヶ滝は、明治6年(1873年)に、かの有名なライマンが調査旅行の途上で船による夕張川の遡上を試みたが、この千鳥ヶ滝を越えることができずに引き返したということである。その際にライマンは、滝の周辺に石炭の巨大な転石があるのをみて、さらに上流部に大炭田(夕張炭田)があることを予見したという余談も伝えられている。
午後2時過ぎに滝の上公園を出発し、最後の見学地である苫小牧市の勇払ガス田に向かって南下し、3時過ぎに石油資源開発株式会社勇払鉱場に到着した。ここでは勇払ガス田の開発の経緯や生産の概要について説明を受けた。主な産出層は、深層の基盤の白亜紀花崗岩とそれを覆う古第三系石狩層群下部の礫岩層で、それらに発達するフラクチャーにガスが貯留されているということである。また浅層として新第三系の滝の上層の凝灰角礫岩の粒子間孔隙から油が産出するという。深層は、ほぼ南北に雁行して配列する4つの背斜構造(南から、南勇払鉱造、沼の端構造、あけぼの構造、北あけぼの構造)から構成され、全体を勇払鉱造群と総称しているという。本ガス田は、平成6年4月に開発移行を決定し、生産施設の建設、勇払ガス田より北広島に至るパイプラインの敷設を行い、平成8年1月に生産を開始した。生産された油およびガスは勇払鉱場に集められ、分離されたガスは主にパイプラインで札幌市の都市ガス原料として供給されており、原油は、タンクローリーで出光苫小牧精油所に運ばれ、販売されているということである。
参加者は、会議室で上記の説明を聞いたのち、集中コントロール室を見学、さらに構内の生産施設を一周した後、本館前で記念撮影を行った。そして、4時過ぎに、バスは新千歳空港に向かって出発し、4時50分頃に空港に到着し、ここでかなりの人が降り、残った人は一路札幌へと向かった。
今回の見学会Bコースは、雨混じりということでお天気にもうひとつ恵まれなかったが、案内者の周到な計画と豊富な配布資料により、大変充実した見学会であった。成因的にも相互に関係の深い石炭と石油の両方の現場を、地質から掘削まで、また新旧の話題を織りまぜながら見学できたことは、大変意義深いものであったし、勇払ガス田のように、最近生産を開始したばかりの新しいタイプの新しいガス田を見学できたことは、参加者にとって、今後の探鉱に新しい意欲を沸き上がらせる上でも大変重要な意味をもっていると思われる。案内者はもちろんのこと、見学会の実現と実施に尽力された関係各位・機関に厚くお礼を申し上げて、本見学会参加報告の締めくくりとしたい。
(徳橋秀一、地質調査所)