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日本の石油開発事業は、近代石油産業の発祥(1859年、ドレークの石油井掘削)から12年後の明治4年(1871年〉、長野 県善光寺で綱式掘削機を便って石油井を掘ったのが始まりです。近代的石油鉱業として開発が行われたのは、1891年に 新潟県出雲崎海岸の尼瀬油田の発見とされています。
その後、新鋭掘削機、科学的探鉱閉発枝術の導入と大資本企業に よる群小全業の統合などで石油開発企業は近代化され、国内油田の探鉱開発が促進されました。
1920年頃の黄金時代の 国内石油生産量は、当時の石油需要の約75%を賄ってまいりました。内燃機関の発達とともに「石油の一摘は血の一 摘」と呼ばれる程、重要な国家戦略物資となりました。
世界の石油産業は、激しい企業淘汰を繰り返し、幾つかの国際 石油資本(メジャ一)によって油田の探鉱開発から精製・販売まで独占されていました。わが国も北樺太や南方諸国へ 石油資源を求めて進出し、油田の開発や復旧にあたりました。
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戦後、わが国の石油産業は、国内油田の荒廃と海外油田からの撤退で、経営基盤を失いました。そこで政府は「石油資 源開発五カ年計画」の策定(現在第7次)と国策石油開発全社の設立を行い、石油・天然ガスの探鉱開発体制の整備と育成に力を注ぎました。その結果、新潟・秋田県で油・ガス田があいついで発見されました。
一方この間国際的に低廉な 石油価格時代であったため、わが国の石油需要は、経済の高度成長に伴って飛躍的に増大しました。そのため、全需要量に占める国産原油比率は急激に減少し海外油田の開発へと目が向けられました。
わが国の石油開発会社は1960年代の カフジ油田の開発をかわきりに、次第に海外へ進出し始め、成功を収めました。1967年には自主開発原油の確保を計る ため、石油公団が設立されました。
1970年初頭からメジャーによる石油の寡占が崩れ、OPEC諸国の支配が強くなり、第 一次・第二次石油危機で原油価格が急騰し世界の経済に打撃を与えました。この数年、原油の供給過剰と安い原油価格 の環境にありますが、今後とも、石油・天然ガスの安定供給を計る必要性は変らないでしょう。
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